京都文化博物館で開催中の
『パリ・マグナム写真展』へ行ってきました。

<マグナムとは>

マグナム(MAGNUM PHOTOS)とは、世界の一流フォトジャーナリスト達が所属することで有名なフォトエージェント。

元々、ロバート・キャパ、アンリ=カルティエ・ブレッソン、デビット・シーモア、ジョージ・ロジャーという4人の有志の写真家が、出版業界の圧力や写真(フォトグラファー)の不当な扱いを改善し、もっと自由で質の高い写真活動ができるようにとの理念を掲げて結成したのが、マグナムのはじまりです。

<今回の展示は、マグナム創立70周年記念>

この写真展ではマグナム誕生の地、パリに題材を絞り
第二次世界大戦前の1932年から
マクロン大統領が誕生した2017年にかけて
マグナムのメンバーが撮影した131点のパリの写真が展示されています。

以前の私は詩のための詩を追求する人のように、
写真のための写真を追求していた。
マグナムの誕生で、物語を語る必要性が生み出されたのだ。

という、アンリ=カルティエ・ブレッソンの言葉から、この写真展は始まります。

<写真で物語を語る>

このブレッソンの言葉は、
マグナム・フォトとは何か?→フォトジャーナリズムとは何か?
という問いに対する答えそのものだと思います。

ブレッソンといえば「決定的瞬間」という言葉があまりにも有名ですし、
もちろん、マグナム・フォトの中にも「決定的瞬間」を捉えた名作が沢山あります。

しかし、マグナム・フォトが発信する写真の多くは、1枚で観る人のド肝を抜くパンチの効いた写真=「ハッとする写真」というよりも、
写真だけでなく、タイトルや撮影当時の社会状況と照らし合わせながら、観る人が写真に込められた“物語”を読み解く写真=「じわじわくる写真」が圧倒的に多いという印象を受けました。

逆にいえば、写真「だけ」を観てもあまり”物語”が感じられず、「よく分からない写真」と感じてしまうかもしれません。。。

例えば、ロバート・キャパが1944年8月26日に撮影した『パリ解放、シャンゼリゼ通り』という1枚。

戦争に勝って、戦車で街中を凱旋パレードしている兵士の一団が、カメラに向かって笑顔で敬礼してみせている1枚です。

写真としては、構図もシチュエーションも、わりと普通に見える作品…
ですが、この写真が、4年間ナチスに占領されていたパリがようやく解放された直後に撮影されたものであることと照らし合わると、また違う写真に見えてきます。

写真の中央に小さく写っている民間兵らしき初老の男性の、なんとも感極まった「泣き笑い」の表情が、この戦争がどれほど過酷なものであったかを、どんな言葉よりも雄弁に語りかけてくるのです。

説明抜きで、ひとめで「ハッとする写真」こそが素晴らしいという人も多いかと思いますが、
私は、センセーショナルな写真よりも
こうした「じわじわくる写真」が好きです。

そして、やっぱりキャパは、「戦場カメラマン」である以上に「表情カメラマン」。
この1枚で、また惚れ直しました^^

<昔の写真の新しい意味>

あと、面白いなーと感じたのは
「時が過ぎても写真は永遠に残る」とはいえ
その写真の意味は時代と共に変わっていく、ということ。

例えば、マルク・リブーが戦後まもない1953年に撮影した「ル・アール中央広場」という写真に写っている、すすけた黒いフロックコートを着た男性は、撮影当時は「貧しさ」を象徴していたと思うのですが、今はその着こなしが「オシャレ」に見えてしまいます。

また、マーチン・パーが『パリ』とタイトルを付けた、キッチュなエッフェル塔の土産物(1997年)の写真や、エスカルゴのクローズアップ写真(2012年)は、発表当時は「俗っぽさ」「ステレオタイプ」を皮肉るコンセプトだったはずですが、現代の眼でみると、これぞまさしく「インスタ映え」(笑)

こんなふうに、昔の写真ほど観るたびに新しい意味が生まれていくので、興味は尽きません。

そうそう、パリ・マグナム写真展と同時開催の『近代京都へのまなざしー写真にみる都の姿ー』展も、明治から昭和にかけての、八坂神社周辺や四条河原町など繁華街の風景、祇園祭の様子、人々の風俗が垣間見られて、期待以上に面白かったです。

私達が残す写真も、数十年経てば「昔の写真」に_
それを観て、未来の人々は何を思うでしょう?

ロマンを感じますね♪

写真展は9月18日(月/祝)まで。

オススメです(^^)/

◆写真展の詳細はコチラ→OPEN